仕事始め

昨年から引き続いて、昨年からの引継ぎと年末年始の雑感について書き留めておこうと思った。

例年のことではあるが、年末年始休みというものに過大な期待と負荷を載せたうえで、結果としてはあまり気負ったこともできず気がつけばまた日常に流されるという年を重ねてきた。今年はそれでもやろうとしていた事のいくつかは消化できたので良しとしたい。本は一冊読めた。百人一首を覚えるということも4割ほどできた。今回買ってきた百人一首札は、取り札の裏に上の句と決まり字が書いてあり、句の内容に立ち入らず決まり字と下の句を機械的に結びつけるという競技向け対応をしてみた。結局こうしないと、かるたとして取ることが出来ないという事は改めて理解した。あと読経というタスクも実家の仏壇を前にしてこなしてきた。声を出して読むというのはやはりこのテレワーク時代には必要だと思われる。レトロゲームにも多少触れてみた。運動に関してはあまり進まなかった。なぜか1/3朝起きると左手首を捻挫しており、幸先のいいとは言えない年始と相成った。

仕事に関してもスロースタートで進めている。ずっと懸案だったチートシート作成をやってみた。都度システムを引き直して確認する事項を極力メモっておいて参照できるようにすることが目的だが、今までなかなか手が付かなかった。昨年末にも書いたが、やはりアウトプット不足が今の停滞感につながっていると思われるので、引き続き書くという行為を続けていきたい。

備忘録がてら、年始にいきなり小笠原で強い地震があった。気象庁の担当課長の記者会見があり、紙資料をプロジェクタに映して説明をしていたのが好感だった。この手の話で「しばらくは余震にご注意を」のようなことを述べ立てるのが通例だが、彼はその根拠となるデータをなんとか説明しようと資料を並べていた。残念ながら解像度や時間の関係で具体的なロジックは見えなかったが、科学者として根拠の説明をしようという姿勢に称賛を送りたい。

かたや、地震の次の日には北朝鮮から弾道ミサイルが発射されたという報道があった。こちらは悲しくも対照的に、「何がどこに飛んだか」という観測事実に対する物理的な説明がなく、政治的に何が(=飛翔体が)飛んだはずでどこに(=EEZ外に)落ちたはずだという記者発表がなされていた。非常に危険だと感じる。必要な議論は「何が飛んで来たら有事なのか」「どこに落ちたら有事なのか」であり、それぞれ対応を決めるべきものだ。人に向けて発砲したが結果当たらなかったらセーフ、とはならない。核ミサイルを打ってきても日本海の公海上に落ちたならセーフ、ともならないだろう。飛翔体が不明であれば最悪の自体を想定すべきだし、不明でないならそれが何かは言うべきだ。その上で政治的判断をすべきだし国民も許容すべきだ。つまり「弾道ミサイルが打たれたが日本政府として武力行使されたと見なさない」と正直に言えばいいのであって、「何かよく分からないから武力行使ではない」という論理で逃げるのは周辺諸国に誤ったメッセージを送っているだけでなく、認識と判断を混同しているという点で危険だと考える。

今日は関東一円で雪が降るとの事だ。確かに肌寒い。こういう日こそ頭を目いっぱい使いたいものだ。