仕事納め

41歳の春を迎えたことで開設したこのブログも全く更新の無いまままた年を重ねることとなってしまった。2021年も終わりという事で、将来の自分のためにも今年の近況を書き連ねておこうと思う。合わせて今後の展望も書き加えたい。

今年は職を変えて2年目、丸1年を現在の職場で過ごした年となった。職場とはいえ実際は自宅からのリモート勤務であり、記憶では出社したのは今年1回きりである。現在の職場はもともと出入り業者として勝手知ったる場所であり、職務内容も全く新奇なものではなかったためそれほどの苦労もなかった。とはいえそれまでの低負荷低賃金の状態に比べると良くも悪くも時間を使うことが増え、それに見合う以上の給金を得ることが出来ていて大変満足している。最近はまたぞろサボリ癖が抜けなくなってきており、しっかり地に足つけて仕事に精を出したいと思う。具体的にはやはり単なるシステム屋から、データサイエンティストと名乗れるような技能を身に着けたい。基礎となる「統計学」と「プログラミング」をある程度体系的に再学習し、自分なりに消化していかねばなるまい。ここは人の眼が無い在宅勤務のメリットでもあり、逆にプレッシャーを自分にかけ続けていかねばならないという事でもある。必要な道具は揃っておりあとは自身の頭一つ。年末年始にじっくり道筋をつけていきたい。

また今年は自分の人生にとっておそらくターニングポイントとならねばならない重要な宣告を受けた年でもある。糖尿病だ。もちろん以前から危険因子は山とあったが、改めて再検査したところ値が大きくハネており、即インスリン注射と言われても不思議ではない状況であった。実際は投薬と節制で検査値は低下に向かっており、これを続けられれば良いのかと思っている。具体的には体重計を新たに購入し(前の体重計が文字通り配線が腐っており、時間の経過を無惨に物語っている)、毎朝測ってはスマホに飛ばすという習慣がついてきている。ピークから5キロ減ってはいるが足踏みが続いている。合わせて、週2回のプール通いを自分に言い聞かせている。秋から冬にかけてはプールも比較的すいており好都合だ。先週は風邪をひき鼻が詰まってしまい行けていないが、今日この後行く予定である。こちらも下手の横好きとして続けていきたい。

改めて世間に目を向ける。昨年2月ごろから蔓延している新型コロナ(Covid-19)のために日本だけでなく世界中で未曽有の変化がおきている。在宅勤務もその一つだが、マスクの着用も2年目に入っている。日本はなぜか異常にマスクに対する親近感と信頼を持っているらしく、新規患者が増えようが減ろうがマスクを強要する圧力が生じている。感染対策としてはともかく、マスク自体は鼻喉に悪いはずがない。毎年体調を崩しているこの時季でも喉を傷めることが格段に減った。とはいえ息が切れた時や暑いときにマスクは厳しい。状況に応じて脱着する形に落ち着けばよいと思う。

今年はオリンピックが実施された。オリンピックの「意義」を各人が各人の視点で議論し続けた上半期ではあったが、結局それが何かは明らかにされることなく無観客とコロナ患者の爆増をもって無事閉幕と相成った。経済の観点から見れば今大会は明らかに失敗と言ってよいだろう。典型的な埋没費用の過大評価と言え、逆に開催するのであれば(たとえ感染対策という名目だとしても)しっかり客を入れて金を使えばいいものを、実に中途半端なお祭りとなった。あれだけ騒がしかったマスコミも終わってみれば誰も何も言ってない、ということはきっと中止の結論だったとしても同じことだったろう。投じた莫大な費用に対して、はっきりと得をした人があまりにも少ない大会だったのは異論無い。コロナ発生前に問題と思われていた事項、つまり競技場の設計、暑さ対策(マラソンが札幌に移動した)、IT技術の導入(5Gとか)、ボランティアの待遇あたりについては誰かが総括したという話を聞かないままだ。開催可否についてあれだけ甲論乙駁がありながら、具体的な意思決定と効果測定を伴わないのではまた同じ轍を踏むと思われる。少なくとも札幌でのオリンピック開催には反対だ。

ついでに来年は北京にてオリンピックが開催される。こちらも「ウイグルでの人権問題」「女子テニス選手の失踪」に対して「外交的ボイコット」が示唆されているそうだ。原因と結果、目的と手段が何一つかみ合っていないように見える。つまり、落としどころが無い問題(何をもって解決と言えるかが簡単に言えない)に対して、具体的な効果のない対策を打とうとしている(今年の東京オリンピックに政府首脳を派遣していない国は日本に対する意趣遺恨があるという解釈になるか?)。何ならそもそも今後も政府高官をオリンピックに派遣しない方が効率的でいいのではないかという意見も出ていると聞く。少なくとも現時点での見聞では、オリンピックは予定通り開催され、人権問題は特に解決されないであろう(ロジック的には、オリンピックが開催されれば人権問題が解決したことにせざるを得ない)。来年の自分がどう考えているかを問うてみたい。

冒頭でも書かせて頂いたが、公私ともに停滞している一つの原因が、引きこもりに伴うアウトプットの慢性的な不足にあると考えている。小一時間ほど書いているが非常に気持ちが良い。来年はもう少しこのような駄文を残していく機会を増やしていこう。