ただの風邪

新型コロナことCOVID-19オミクロン株が猛威を奮っているらしい。正月を開けて新規感染者数が去年の最高値を余裕で飛び越えている。2年近くコロナ対策を繰り広げてきた結果、コロナに対する「相場観」のようなものが形成されているらしく、今回の増加率は明らかに去年の相場を急激に上回ったため、様々な対策が後手に回っている印象を受ける。去年の6・7月頃はオリンピックの開なにもないに催可否を巡って、マスコミがIOCバッハ会長の動向を追い回していたはずだ。翻って冬季五輪までもう一ヶ月を切っているはずなのだが、何故か開催の是非を問う声は日本からは出てきていないようだ。中国の女子テニス選手に絡むスキャンダルが新疆の人権問題と結び付けられ「外交的ボイコット」なる不可解な概念が発生したのだが、これが完全に裏目に出ている。選手派遣に関しては、日本側と中国側で疫学的な懸念がある。この解決には相互の信頼が必要不可欠だ。もし選手に陽性反応が出た場合に彼我の責任範囲の明確化と感染拡大対策の方針決定の中で「選手団を守る」「開催国を守る」の線引きをする際にどうしても日中間の手打ちが必要になる。譲った側は国民を納得させる理屈が必要だからだ。日本はもともと首相ましてや皇族の派遣は予定していなかったと聞いているが、「外交的ボイコット」という概念が出来てしまったために、そこに敵意を見いだされないとも限らない。何もないに越したことはないのだが、小さくない火種になりそうな懸念を感じる。

コロナに関しては十分な説明が伴わないまま様々な対策と言説が飛び交っている。昨年末頃は「デルタ株」というキーワードで説明がなされていた。デルタ株は感染力とともに重症化リスクが高く、ワクチン接種を急ぐ理由の一つとされた。かたやオミクロン株は口々に「感染力が高いが重症化リスクが低い」と喧伝されている。この一点が、当初の感染封じ込め対策を有耶無耶にしつつ、経済的打撃の大きい人流抑制策に踏み切らない理由とされている。

今回の大流行の初期から、「コロナはただの風邪である」という表現がたびたび登場し、そのたび様々な角度から罵詈雑言が浴びせられてきた。改めて考えたい。

一般に風邪症候群というのは、インフルエンザと対置する概念として、おもにライノウイルスもしくはコロナウイルスによる上気道感染症状の総称と考えられている。今般わざわざ「新型」とつけているように、コロナウイルス自体は風邪の原因となる一般的な病原体である。周知の通り風邪は伝染する。感染力は決して低くはない。そして風邪は肺炎など劇症を併発しうる侮れない病気である。「うつは心の風邪」という言い方も、ありふれた病気であると同時に命の危険すらあるという警鐘の意味合いがある。

この意味でいうと、感染力が高く重症化しにくいと言われるオミクロン株は、語義的には「ただの風邪」と呼ぶべきだと考える。こう書くとおそらく多くの読者の気分を害すると思われるが、直近の対策でことさら「重症化はしない」点を強調されるたび、改めて原点に立ち返る必要があると私は言いたい。ここ数年より前にも風邪をこじらせて亡くなった方は大勢いる。「ただの風邪」にもワクチンや特効薬はなく、これは感染対策を整えれば防げた死であった可能性はある。そもそも人は様々な理由で日々死んでいる。特定の疾患での死者をことさら上げたり下げたりすることは本質的ではない。オミクロンが概ね治る病気であるという前提に立つのであれば、それはもはや「ただの風邪」であり、マスクをして風邪薬を飲んで寝る従来の形に戻るべきだろう。

もちろん弱毒であるということの結論を出すのは時期尚早かもしれない。そう考えるのであれば、やはり緊急事態宣言などの人流対策を取るべきではないだろうか。今の世間のスタンスはあまりに中途半端であり、ここ1年のコロナの相場観に引きずられているように思える。要するに、外が寒くて乾燥しているのであれば風邪対策をとるのは「ウィズアウトコロナ」からの当たり前であり、冬は風邪が増えるのもまた然りである。「ただの風邪」に用心する心構えこそが本質だと考える。