今こそポリコレを

 これを記している3月15日時点で最も熱いトピックと言えば、ウクライナ情勢である。ロシアがウクライナへの軍事侵攻を敢行して以来、この話題は全世界に、全世界経済へ影響を与えている。今回は早い段階で経済制裁に言及があり、SWIFTという国際銀行間決済システムからロシアを締め出すという画期的な制裁が打ち出された。結果としてロシアとの真っ当な商取引は不可能となり、ルーブルの価値は暴落した。反対にロシアからの供給が途絶えたエネルギーの価格は上昇しており、それが日本においての最重要懸念となっている。また停戦交渉も引き続き行われていると聞くが、ウクライナ武装解除をロシアが要求している限り妥結できるとは到底思えず、今後の見通しは非常に暗い。後から振り返ってみれば歴史は極めて単純化されて記載されると思うので、私も一筆書き残したいと思った次第である。

 今回の紛争において印象的なのは、徹底的に情報を検閲し武力を用いてでも統制を図ろうとするロシアと、ウクライナ大統領を筆頭にSNSなどで膨大かつ野放図な情報開示を行う西側諸国という対比だ。ウクライナサイドからは軍事機密かと思えるような情報さえネットニュース経由で拡散されている。西側はメディアは当然のように、この膨大な情報開示を絶対善としており、統制を図るロシアを悪しざまに罵っている。正直に言って、実際の血が流れる国家間の戦争というものに対して、このような無制限の情報開示が有利に働くか、そして平和に導けるかは疑念がある。無論、自由に発言できることは良いことだろう。しかしその情報によって誰かの命が危機にさらされる可能性もまた孕んでいる。

 ジャスミン革命のように、国家内の内戦に対して外部からの介入を求めるという点においてはSNSは非常に機能したと思えるし、裏を返せば既存のメディアは所詮「体制側」であり、肝心な時には洞が峠を決め込むという事が分かったといえる。しかし今回のような世界大戦への火種ともいえる状況で、参戦世論を形成することは不穏でもあり、統制無き情報発信が最終的に誰に利するかは現時点で何とも言えないように思える。さらに悪いことに、ツイッター社・メタ社などのSNSではロシアを擁護する類の言論を封殺していると聞く。自社のポリシーを明言することなく他者の言論を封殺することは、意志を持った情報統制より危険だと私は考える。現状はウクライナという国に対して西側諸国がヒト・モノ・カネのリソースをつぎ込むことで戦線が維持され、結果ウクライナの国土のみが完膚なきまでに荒らされるという皮肉な結果となっているが、一旦形勢が動いたときに、西側諸国でどのような過激な世論が形成されるか、それによってより危険な方向に舵が切られないか、プーチン大統領の意志のみで戦争遂行されているロシア側と同様に心配でならない。

 「ポリティカル・コレクトネス」という言葉がある。「政治的妥当性」ないし「政治的正しさ」とも訳され、ポリコレと略して使われる。様々な意味に使われる用語ではあるが、中核的には何らかの差別意識を前提とする用語を、より「正しい」言葉へと置き換える動きを指すらしい。例えばコンピュータのハードディスクを2台接続する際に、技術的に主たるディスクを決める必要があり、「マスター」そして奴隷を意味する「スレーブ」という表現を使っていた。これは今では「プライマリ」「セカンダリ」つまり1つめ、2つめというニュートラルな表現に置き換わっている。技術用語に限らず、新しい概念を表す用語には往々にしてクセの強い表現が含まれがちであり、それが世間一般へと膾炙されていく途上のどこかで、よそ行きの言葉に改めてやる必要が出てくる。格闘ゲームやソシャゲの世界でも同様に「誰でも当然のように習得すべきスキル・持っておくべきアイテム」という意味で「人権」という用語が使われていたが、これを一般社会にそのまま持ち出して炎上するということもあった。これ自体は必要なプロセスだと思う。しかしポリコレという言葉自体はある種の「言葉狩り」として一般的に否定的な文脈で使われがちであり、「不寛容」の象徴として語られる。

 ポリティカルとは「政治的」という意味だ。政治に対する考え方は人それぞれだと思うが、私は政治とは「理論ではなく妥協を中心とした意思決定プロセス」と捉えている。人がことさら「政治的妥結」という言葉を使う時には、一般的には甲論乙駁の議論の結果ではなく、大義の無い玉虫色の折衷案というニュアンスを伴うだろう。決して悪い意味ではなく、妥協とはある種の寛容性であり、多様性をもつ意見の集約、理知的な人間にのみ許される平和的解決だと考えている。今回のウクライナ問題において少なくとも今必要なのはこの手の「寛容性」である。ウクライナ側が殴られている状況を看過しろというつもりは毛頭ないが、「ロシア側に対してのはあらゆる罵詈雑言が許され、ロシアを擁護したものも対象に含んでよい」というのは政治的に正しくないだけでなく、問題の解決に凡そ貢献しないという意味においても大いに非難されるべきである。

 ロシアを擁護したいという論客は、まずこのロシアに向けられる「ヘイトスピーチ」に対して抗議するのが良いかもしれない。どちらの陣営であれ、感情を煽るような発言はそれ自体が戦争の火種となり得る。この一点においてのみ、ロシアの言論封殺は評価できる。今回の教訓の一つとして、戦争中におけるSNSの使い方について国際的な議論とガイドラインが制定されることを望む。